石原慎太郎元知事が百条委員会に出てきた真の目的

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豊洲市場の移転問題を検証する東京都議会百条委員会理事会は20日、石原慎太郎元知事を証人喚問した。石原氏は「記憶にない」、「担当者に任せていた」などの言葉を繰り返し、大方の予想通り、核心に迫る発言は一切出てこなかった。

石原氏はこのまま“逃げの一手”を続けるのか――。

「石原氏はその過激な物言いから、保守あるいは右翼と見られているが、誤解されている部分も多い」と全国紙政治部デスクは語る。

「昭和44年に三島由紀夫との対談で、石原は三島から『君は天皇制というものに興味ないんだろう』と聞かれ『僕はないなあ』と答えている。また知事時代、中国メディアのインタビューを受け『あなたは右翼ではないのですか?』という質問に対して『(戦後の日本には)右翼なんてどこにもいないよ。街中で車を乗り回しているのは大方、暴力団ですよ』と答えていた」

保守というのは伝統を重んじるという立場であり、そういう意味では、石原氏は保守でも右翼でもないのかもしれない。

『文學界』(2014年3月号)で『芥川賞と私のパラドクシカルな関係』と題した石原氏と中森明夫氏の対談が掲載されているが、石原氏は皇室について、ここでも次のように発言している。

《いや、皇室にはあまり興味はないね。僕、国歌歌わないもん。国歌を歌うときにはね、僕は自分の文句で歌うんです。『わがひのもとは』って歌うの。みんなちょっと、振り返るんだけどね》

石原氏が歌詞を変える『わがひのもとは』というのは、“私の日本は”という意味だ。さらに、この対談で石原氏は、戦時中に父親から「天皇陛下がいるから皇居に向かって頭を下げろ」と言われた際、「姿も見えないのに遠くからみんなお辞儀する。ばかじゃないか、と思ったね」と語っている。

 

自分以外は全てが嫌いな石原氏

反韓と反中のコメントが目立つ石原氏だが、実はアメリカもフランスも嫌いで、日本以外は認めないという立場だ。ちなみに本人は、反米でなく“嫌米”、反中でなく“嫌中”だと言っている。

また、石原氏が核兵器保有を唱えるのは、日本を対米従属から解放させたいという意思であり、民族自決の方向性だ。根っからの民族主義者と捉えれば、石原氏こそ本来の意味での右翼とも言える。

前出の政治部デスクは次のように言う。

「三島との対談で彼は『何の為に死ねるかといへば、それは結局自分のためです』と言っている。彼を理解する上で、この言葉が最も分かりやすい。要するに、彼は自分が好きなだけなのです」

右とか左ではなく“自己愛”。これこそ石原氏の本質だ。23歳で芥川賞を取って以来、半世紀を越えて、ずっと「日本ではおれが一番」という自己愛を貫き、かつ、それを実行してきた。政治家になったのも、東京都知事になったのもそうした欲求のひとつにすぎない。

そんな、“プライドの塊”の石原氏が、小池都知事から「逃げている」と批判されるのは耐えがたいほど屈辱的であっただろう。それゆえ、記者会見を行ったり、証人として百条委員会に出てきたりしたわけだが、石原氏に対する“逃げている”という印象が強まるだけの結果になった。

 

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