追悼…人情家の阪神・中村GMが「遺言」とした最後の大仕事とは

nakamura_katsuhiro

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人がよすぎて勝負師としては負け組……阪神の中村勝広GM(享年66)が9月23日にこの世を去った。

中村GMと私は、40年以上の長い付き合いがあったため、ここでは普段呼んでいた「カッちゃん」と記述させてもらう。

カッちゃんと真正面から話をしたのは、阪神入団時(1972年)の高知・安芸キャンプだった。

当時、阪神のスター選手といえば、マスコミ嫌いでコメントをあまり出さなかったことに加え、記者の前ではうまく話すことができなかった。大阪スポーツニッポンの遊軍記者だった私は、取材する立場から遠慮なしにこう言った。

「これからは最低野球のことは、しっかりと話せる選手になってくれ。指導者になっても、そういう選手を育ててほしい」

カッちゃんは黙って聞いたうえで、「そうですね。分かりました」と私の要望を受け入れてくれた。その後は、約束通り阪神の選手の中では、しっかりとコメントを出していた。

そして、90年に阪神監督として指揮を執ってからも変わらなかった。指導の一環として“話せる選手”を育て最後まで貫いていた。

正直に発言することで誤解されることもあった。しかし、カッちゃんは死ぬ直前まで人情深い一面を見せていた。マスコミに叩かれた某球団幹部が怒りを露にしても、その幹部に「マスコミの方も商売だから」となだめていたのは、カッちゃんだった。