暴君・金正恩が北朝鮮国民に施した数少ない「善行」

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北朝鮮では金正日総書記の時代から、たびたび暗殺未遂事件が韓国によって報道されてきた。もっと言えば、金日成主席は全権を掌握するまで、政敵に対して血の粛清に次ぐ粛清を重ねており、常に権力闘争、後継を巡る抗争に明け暮れてきた。金正恩党委員長もまたしかりだ。

「北朝鮮で36年ぶりに労働党大会が開催された昨年の5月、秘密警察である国家安全保衛部(現:国家保衛省)の地方組織が一部住民に対する講演を実施しました。そのなかで、正恩の専用列車の爆破計画が党大会前に発覚し、未遂に終わったと報告したのです。体制の守護を使命とする秘密警察が言うのですから、本当の話でしょう」(北朝鮮ウオッチャー)

実は正恩暗殺計画の情報はこれまでにもあった。

「2015年10月初めに、東部の元山にある葛麻(カルマ)空港で、正恩の視察前日に建物の天井裏から大量の爆薬が見つかったと、アメリカ政府系のラジオ局『ラジオ・フリー・アジア』が報じたことがあります。発見されたのはTNT火薬20キログラムで、手榴弾なら130個分以上のものです。正恩を爆殺するつもりだったのかもしれません」(同・ウオッチャー)

 

正恩の政策によってストリートチルドレンが…

正恩は、兄を暗殺したり、叔父の張成沢や玄永哲人民武力相を“ミンチ”にしたりと、処刑の方法が恐ろしく残忍だ。しかし、ほんの少しだけ“いいこと”もしている。

北朝鮮では、両親を失って路上で生活する10代前後の子供たちを『コッチェビ』と呼ぶ。この呼称が登場したのは1980年代のことだ。通称『チャンマダン』という闇市の周辺で“落穂拾い”をするかのような子供たちの映像が、日本のテレビで流されたこともある。

「コッチェビが集中して登場したのは1990年代で、彼らは餓死していなければ現在30~40代の大人となっているでしょう。コッチェビがいなくなった原因は、正恩がチャンマダンを半ば黙認し、子供もそこで働くようになったためです」(北朝鮮に詳しい大学教授)

正恩が一般住民向けの演説をした際に、「二度と住民がベルトを締め上げることがない(やせ細らない)ようにする」と発言し、食糧需給と関連した政策をいくつか推進した。それもあってチャンマダンも北朝鮮全域に広がり、現在では約400カ所の大規模なチャンマダンが運営されるようになった。そして、チャンマダンは北朝鮮の流通の中心となったという。

北朝鮮の住民がやせ細っているイメージではなくなったのも、正恩のおかげなのだろうか。それと比例するように、本人は就任直後よりも明らかに太ってしまっているが。

 

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