日本に「A級戦犯が存在していない」という理由の根拠

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1952年12月9日の衆議院本会議で、社会党、自由党、改進党、無所属倶楽部の共同提案で『戦争犯罪受刑者の釈放等に関する決議』が圧倒的多数で可決された。発議にあたって左派政党の日本社会党(以下社会党)の古屋貞雄議員は次のような発言をしている。

《敗戦国のみ戦争犯罪の責任を追及するということは、正義の立場から考えてみても、基本的人権の立場から考えてみても、公平な立場から考えてみても、私は断じて承服できない。人類史上、最も残虐であった広島、長崎の残虐行為をよそにして、これに比較するならば、問題にならぬような理由をもって、戦犯を処分することは、断じてわが日本国民の承服しないところであります》

こうした見解に沿って同年、社会党の堤ツルヨ氏が提議し、国会では全会一致で『戦傷病者戦没者遺族等援護法』と『恩給法』の改正案が可決され、A~C級戦犯の遺族も戦没者遺族と同様、遺族年金、弔慰金、扶助料が支給され、さらに受刑者本人にも恩給が支給されるようになった。

靖国神社はA級戦犯を“昭和殉難者”と呼ぶが、こうして日本の国内法でも“戦犯”は犯罪者とは見なされなくなった。

 

A級戦犯が合祀された動機

また、講和条約発効前の戦犯の刑死や獄死を《在職中の公務死》と見なして、政府は戦犯に対する援護措置を充実させていった。これがA級戦犯合祀の動機となったのだ。こうした機運の背景には、サンフランシスコ講和条約の発効を機に、戦犯否定の声が高まったこと。死刑に処されなかった戦犯の釈放と名誉回復について、日弁連など民間団体が戦犯赦免運動を展開し、全国から延べ4000万もの署名が集められたことが背景にある。

その結果、巣鴨プリズンで服役していた有期刑のA級戦犯は1956年3月までに、B級C級戦犯は1958年5月までに釈放された。

こうした右派も左派もない国内世論を背景として、戦犯の遺族に戦傷病者戦没者遺族等援護法が適用されるようになったことで、1959年からは敵国によって刑死した戦犯も靖国神社に合祀され始めた。処刑された7名のA級戦犯については、1965年から合祀の手続きが開始され、10年余にわたる靖国神社内の検討を経て実行されている。

東京裁判で処刑されるか、未決拘留中や受刑中に死亡したA級戦犯14柱が合祀されたのは、独立回復から15年目の1978年10月17日の秋季例大祭前日の霊璽奉安祭でのことだった。

 

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