「偉大なる将軍様」と呼ばれた故・金正日の横顔 ~その2~

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その1からの続き)

北朝鮮の金正日には、ファミリーを支える“3大グループ”が存在した。

  1. 金正日の身辺を警護する『護衛総局』の中の『護衛司令部第2護衛部』
  2. 金正日の直命機関である『秘書室』
  3. 同じく直命機関である『執務室』

この3つの組織は、北朝鮮の権力序列の外部に独立して位置付けられており、北朝鮮の支配層を構成する権力序列メンバーにさえ恐れられた。これらの運営に関わっている人々は、まさに“虎の威を借る狐”たちである。

北朝鮮で金正日に奉仕するための若い女性たちによる組織『喜び組』は、労働新聞をはじめ北朝鮮の放送、出版、言論の一切を統括している李明在(イ・ミョンジェ)によって創設された。彼もまた『執務室』の一員だった。

「李明在は、金正日が1964年に党宣伝部課長をしていたときからの直属の部下で、半世紀も仕えた側近中の側近でした。旺載山(ワンジェサン)や普天堡(ポチヨンボ)楽団、万寿台(マンスデ)芸術団などから選りすぐった美女たちで結成したのが、『喜び組』といわれるものの原型になっています。彼は楽団や女優、踊り子集団などから金正日好みの色白で目のパッチリした女性を選抜して喜び組を結成したばかりか、『喜び組パーティー』をやり始めたのも彼でした。いわゆる女衒です」(脱北者)

別の脱北者は李明在の別の顔をこう言ったという。

「李明在は『採紅使』だと陰口をたたかれていました。その由来は、無類の女好きだった李王朝第10代の王・燕山君に全国から美女を集めて貢ぐ役人の名が採紅使だったことに由来しています」

“女衒王”の李明在は、金正日との喜び組パーティーで撮影された淫らなポーズの写真を夫人に見つかったことがある。

「おしゃべりな夫人は、この写真を根拠に『総書記は若い女たちと毎日のように乱痴気騒ぎを繰り広げている』と触れ回ったのです。この噂が金正日の耳にも入り、李明在に『女房の教育をきちんとしろ』と厳重に注意したことから、家に帰った李明在は夫人を責めました。これに耐えられなくなった夫人は、首を吊って自殺してしまうのです。これが原因で息子と娘は『親父が母を殺した』と家を出てしまった。その一件を耳にした金正日は、後妻に喜び組の踊り子だった20数歳も年下で当時36歳の女性を払い下げています」(前出・脱北者)

北朝鮮には近代社会にも“大奥”が存在したのだ。

その3へ続く)

 

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