「ごめん、愛してる」が不満続出で最終回迎えた理由

画/彩賀ゆう

9月17日に最終回を迎えた『TOKIO』の長瀬智也主演の連続ドラマ『ごめん、愛してる』(TBS系)は、2004年に韓国KBSテレビで制作され、『冬のソナタ』(2002年)をしのぐ最高視聴率を記録したドラマをリメイクした作品だ。元となったドラマはその年の韓国ドラマ界の各賞を総なめにしていることもあり、放送前は高い前評判だった。しかし、最終回放送後は、その前評判とは裏腹に「謎だらけで不満が残る」と視聴者が怒り心頭だという。

ストーリーは、幼いころ母親に捨てられて不遇な環境で過ごしてきた主人公の岡崎律(長瀬)が、吉岡里帆の演じる愛情深い女性の三田凛華と出会い、人生の価値を見つめ、考えなおすというもの。最終回で律は全ての真実を知る。母親の麗子(大竹しのぶ)の息子であるサトル(坂口健太郎)は本当の子供ではなく、養子であること、そして麗子が律は死んでいたと思っていたことが明かされた。

「ここで不思議なのは、なぜ律が母親に『おれが息子だ』と最後まで明かさないかということです。弟のサトルにはすでに明かしていて、秘密をひとりで背負わされたサトルは苦しみます。また、凛華は律に避けられているのが分かっていてサトルを振り切り、律に寄り添うのですが、この心変わりも描写が足りていないので、いまひとつ分かりません」(脚本家)

サトルは心臓の病に伏していて、律は脳の病気で余命が少ない状態にある。そのため律は、サトルが養子であっても、心臓をあげたいという思いがあった。その後に律は、麗子から心臓を移植する礼として料理を作ってもらうが、律はこの料理を残して途中で出て行ってしまう。

「感無量になって出て行ったのか。本来、母親の手料理を食べる身分ではないと悟って出て行ったのか。とにかく説明が足りず意味が不明な場面でした」(同・脚本家)

律は自分が実の子であることを母親に最後まで知らせないまま、「母ちゃん、産んでくれてありがとう。生まれ変わってもまた親子になろうな」とその場を去ったのだ。

 

最終回放送後SNS上に広まった不満

「そしてもっともフラストレーションが残るのが、律が死ぬ場面が出てこないことです。凛華に電話して『ごめん、愛してる』と言うのが精一杯で、これがドラマの主題になるという場面なのですが、説明不足のために泣けませんでした」(同・脚本家)

そして舞台は1年後、サトルがコンサートを開催するシーンに移る。心臓移植は無事成功したようで、サトルは「ひとりの兄がいます。その兄のおかげで命をつなぐことができました。きょうの演奏を兄に捧げます」と言い、演奏を始めた。その後、麗子は「もうひとり息子がいたけど、遠い昔に捨てたの。その子のために涙を流す資格は、わたしにはないわ」と目を潤ませた。一方、ふたりが出会った思い出の地である韓国に足を運んだ凜華は、どこからか律の「しっかりしろ」の声が聞こえ、空を見上げ笑顔を作った。

放送後にはSNS上に《結局、母親は律が本当の子供だとは知らないんだよな》、《心臓を息子に無償で提供するという時点で、昔、自分が捨てた子だと考えないのか》、《結局、不倫の子だから母親は思い出したくなかったという話?》などの不満の書き込みが広がっていた。

前評判の割に期待はずれに感じた要因には、最初から最後まで謎が多過ぎたことに尽きるようだ。

 

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