アメリカ映画が描いてきた「核戦争危機」の歴史

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北朝鮮の“無慈悲な”挑発に、アメリカが本気で動揺しているとは思えない。だが、過去に2回、アメリカ国民がパニックになった出来事があった。

「最初は1957年10月4日に、ソ連が世界最初の人工衛星『スプートニク1号』の打ち上げに成功したときでした。なぜ人工衛星の成功が核攻撃に結び付くかと言うと、当時、アメリカが敷いていた全米をカバーする防空体制『SAGE(セージ)』がオモチャになってしまうからです。SAGEはソ連領内の北極圏にある基地から戦略爆撃機が核弾頭を積んで、アメリカを攻撃するという前提で構築されたシステムですから、人工衛星が核弾頭を積んで飛来すればSAGEが役に立たなくなってしまうのです」(軍事アナリスト)

さらに5年後の1962年にはキューバ危機が起こる。

「当時のアメリカ大統領ジョン・F・ケネディはキューバを海上封鎖し、核ミサイル基地の撤去を要求しました。対してソ連のニキータ・フルシチョフ第一書記がミサイル撤去に応じて核危機は回避されますが、この13日間は世界が最も核戦争を覚悟した瞬間でした」(同・アナリスト)

 

冷戦時に製作されたシリアスな核戦争映画

当時はこのような極度な緊張感が漂っていた。その冷戦真っ最中の1959年に公開された映画が『渚にて』(監督スタンリー・クレイマー監督/主演グレゴリー・ペック)だ。あらすじは1964年に第3次世界大戦が勃発し、米ソの核攻撃で北半球は全滅するが、潜航中であった原潜が難を逃れ、南半球のオーストラリアのメルボルンに寄港する。だが、最後は悲劇的な幕切れを迎える。

映画『2001年宇宙の旅』を製作した奇才のスタンリー・キューブリック監督が製作し、1964年に公開されたのが『博士の異常な愛情/または私は如何にして心配するのを止めて水爆を愛するようになったか』という長い題名の映画だ。映画は冒頭で、アメリカ空軍によって《映画はフィクションであり、現実には起こりえない》という字幕が出るからブラックコメディー仕立てだった。

これ以外にも1964年に公開されたシドニー・ルメット監督の『フェイル・セイフ(邦題:未知への飛行)』、1983年公開の『ウォーゲーム』、アメリカのテレビ局ABCで1983年に放送され、視聴率46%を記録したこともある『ザ・デイ・アフター』など、核戦争の恐怖を題材にした映画は数多くある。

日本は世界で唯一の核兵器被爆国であるため、こうしたシリアスな核戦争映画は製作しづらい。そんなところに、北朝鮮に対する緊張感のなさが現れているのかもしれない。

 

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