NHK「わろてんか」モデルの人物と山口組 ~その1~

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朝の連続テレビ小説『わろてんか』(NHK)で主役の葵わかなが演じる藤岡てんは、吉本興業の創始者である吉本せいがモデルになっている。明治から大正、昭和を生きた女興行師で、作家の山崎豊子氏の小説『花のれん』のモデルでもあり、その一生は映画やテレビドラマ、舞台となった立志伝中の人物だ。

一方、全く同時代に興行の世界で名を上げつつあったのが、山口組二代目の山口登組長。せいは1934年9月3日、登組長を大阪ミナミの法善寺横町にある料亭に招いている。ちなみにせいは、その2年前の1932年に吉本興業合名会社を設立していた。

せいの悩みは東西の歌舞伎を傘下に持つだけでなく、大阪の道頓堀の劇場街にも進出して、寄席興行中心の吉本興業を脅かす『松竹』にどう対抗するかだった。その対策としてせいがプランニングしたのが、昭和の初期から台頭してきた浪曲だ。そのなかでも喉から手が出るほど欲しかったのが『清水次郎長』を演題にした浪曲で一世を風靡していた広沢虎造だった。

せいが山口組興行部を持つ登組長に一席持った理由は、組長が浪曲の元締めである浅草の浪速屋金蔵と親しく、彼を紹介してもらうことで広沢虎造の興行権を手に入れられると計算してのことだった。

結局せいは、登組長の仲介で浪速屋金蔵と交渉し、広沢虎造の興行権を手に入れることになる。東西の大手劇場や映画への出演は吉本興業の権利となり、広沢虎造は勝手に出演できない契約をしたのである。この契約に際してせいは、虎造に月額5万円という当時破格の大金を出した。

この時代の吉本興業は、弟の林正之助と林弘高がせいの仕事を助けていた。正之助は新感覚で寄席芸人を見出し、花菱アチャコと横山エンタツという名コンビを誕生させ、それまでの漫才を一新させて観客を集めることに成功していた。

浪速屋金蔵は、吉本興業の広沢虎造としてスケジュールを切るようになった。虎造もそれに納得し、しばらくはせいの興行に従った。こうして吉本興業と山口組興行部は提携したのである。

“女太閤はん”と呼ばれたせいが、神戸の山口組二代目を侠客と見込んだのは松竹との対抗上からだが、せいは登組長への信頼を深め、吉本興業と山口組の関係は、田岡一雄三代目組長の時代まで続くのである。

その2に続く)

 

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