NHK「わろてんか」モデルの人物と山口組 ~その2~

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その1からの続き)

1940年5月のある日、神戸の山口組二代目山口登組長の元へ吉本せいから電話があった。

「親分、うちにとってはえらいことが起こりましたんねん。えろう急どすが、大阪までご足労願えまへんやろか」

大阪ミナミの大和屋に席を取り、登組長と対峙したせいは、こう切り出した。

「実は、広沢虎造師匠がとんでもない契約をしてたんどす。籠寅はんの口利きで、日活映画に出演すると勝手に約束していたんどすわ」

腕組みをして聞いていた登組長は、「そら、虎造があかんわなあ」と、せいの訴えに答えた。

「この話はうちだけの問題やおへん。うちと東宝はんとは密接な関係がおす。虎造師匠の勝手な約束を認めたら、うちは東宝はんへ顔向けできへんことになりますやろ。ほんまにもう、どないしたらええどすやろ」

登組長は、せいに籠寅と話を付ける約束をした。籠寅とは興行も手掛け、衆議院議員も務めた関係で、政財界を牛耳る保良浅之助が率いた現在の指定暴力団『合田一家』の源流であり、二代目山口組とは比較にならないほど強大な存在だった。

結果的には登組長の説得によって籠寅側も山口興行部の顔を立て、広沢虎造から手を引くことを承知した。これで、吉本興業と籠寅の騒動は表向き収まったが、籠寅側の若い衆には不満がくすぶっていた。

浅草にある浪速屋金蔵の事務所で第1波の襲撃事件が起きる。籠寅の者と名乗るひとりが登組長を訪ね、事務所の2階に上がると懐からピストルを取り出して撃とうとした。登組長は小太りだが、俊敏で喧嘩は強い。男がピストルを取り出すと同時に、テーブルを跳ね返して男につかみかかり、階段の上から蹴落とした。襲撃した男も焦っていたためピストルの安全装置を外すのを忘れ、弾丸は発射されずに事なきを得た。

第1波が失敗した後も再び襲って来るのは、相当の覚悟を決めての行為である。今度は軍刀型に造った抜身の日本刀を握った別の男が襲撃した。浪速屋金蔵の事務所は第1波攻撃から態勢を立て直していない。

「山口! 命をもらう」

登組長は素手だが、逃げようとはせずに襲撃者に身構えた。

その3に続く)

 

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