NHK「わろてんか」モデルの人物と山口組 ~その3~

bee / PIXTA(ピクスタ)

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その2からの続き)

浪速屋金蔵事務所襲撃者のひとりから頭に振り下ろされた刃を、山口組二代目山口登組長は左腕で受け止めた。そこへ匕首(アイクチ)を構えた若い男3人が事務所のなかへ飛び込んできた。それに応戦した人物がいるのだが、詳細は割愛する。名を中島武夫というが、この人物も素手だった。

中島は腕に覚えがあり、匕首を持つ2~3人を相手にしてもひけをとる男ではないが、袴の股立(モモダ)ちを取るひまもなかった。胸と腹部を刺され絶命する。

当時の『読売新聞』がこの事件を伝えている。見出しは『虎造の映画が殺人の原因。浅草の血煙逃亡者を捜査』(昭和15年(1940年)8月17日朝刊)となっている。記事の内容は次のようなものだった。

《16日白昼1時半、浅草公園と眼と鼻の先、浅草区田島町88浪速屋興行事務所前路上で、興行上のもつれから日本刀と短刀の殺陣は、即死2名、重傷2名、その他軽負傷者を出したが、2名の逃亡者があり、菊屋橋署で捜査している》

登組長は両腕、左腹部、背部等6カ所に瀕死の重傷を負い重体。だが、ふたつ折りにして腹巻きに入れていた600円の紙幣が、刃が深く刺さるのを防いでいたのだ。あと1センチ深かったら助からなかったろうといわれた。

入院した登組長は、東京吉本の林弘高と相談し、中島武夫の葬儀を浅草寺で盛大に営んだ。のちに彼の墓は、登組長によって山口組由来の神戸市にある鵯越墓地に建てられている。

もちろん、広沢虎造の浪曲映画の制作は中止されたが、1942年10月4日、このときの傷が元で登組長は死亡したとされている。享年41。言ってみれば吉本せいの野望の巻き添えを食ったわけだ。

島田紳助氏の問題と違い、当時の吉本せいが山口組とどう付き合おうが、それほど問題にはならない時代でもあった。浅野連像テレビ小説『わろてんか』(NHK)は藤岡てんが、笑いの世界をビジネスとして成功させていく笑いと涙のオリジナルストーリーだ。実際のエピソードから大きく外れることもあるだろう。

とはいえ、NHKがこの“史実”をどう扱うのか非常に興味深い。

(了)

 

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