水原希子は“日本版MeToo”の旗手? 性被害を告発し続けることの意味

水原希子 

水原希子 (C)まいじつ 

俳優でモデルの水原希子が、ここ最近大きく問題視されている芸能界や映画界の〝性加害〟について言及した。

水原は4月21日号の『週刊文春』の取材に応じ、A4用紙3枚にわたって自らの考えを表明。《もともと芸能界にはこういう(性加害のような)側面がずっと存在していて、私も男性監督から言葉のセクハラにあたるような発言をぶつけられた事は数え切れないぐらいありました。相手は無意識に言っていたのかもしれませんが、私の中ではずっと無念の気持ちが残っています》と胸の内を吐露した。

そして、《インティマシーシーン(性的な場面)の際に共演の年上の役者さんの方が前貼りを拒否して下半身が硬直した状態で撮影に入り、友人の女優さんがとても理不尽な気持ちで撮影をしなくてはいけなかったというようなお話もありました。業界では(大勢のスタッフの前でも気にせずに)脱いで演じ切るのが立派な俳優だ、といった歪んだ捉え方を押し付ける暗黙の了解が存在していました》と明かした。

しかし、水原は自身のインスタグラムで、たびたび〝艶めかしい〟カットを投稿していることから、ネット上では

《インスタは基本露出凄いよね。あれは本人の意志なのかな?》
《水原さんが和室のテーブルの上で開脚写真を撮ってたのもビックリした》
《水原さんはきわどい写真を投稿してたよね。他人から強制されてるわけじゃないだろうけど、受け取る側はちょっと不快だわ…》
《性加害に声をあげたのは良いこと。でも、自身の過激写真ももう少し控えてほしい》

など、「説得力に欠ける」という声も聞こえてくる。

水原希子が告発を続ける意味

「水原は自身のインスタグラムにきわどいカットを幾度となく投稿しており、どうやら一部のアンチからセクハラを指摘されているようですね。もちろん他人から強要されているわけではないので、昨今問題視されている性加害のような話ではありません。不快に思う人がいてもおかしくはないでしょうが、水原のSNSのため、見たくない人は見なければいいだけです」(芸能ライター)

性加害報道に声を上げたにもかかわらず、アンチから叩かれる地獄絵図に、

《自分で撮るのと人に強要されるのは違うと思うよ》
《数年前のme too運動の時、日本の芸能界はほぼ無風だったけど、水原希子は孤軍奮闘して立派だったのを思い出した》
《見なければ? そういうものまでギャーギャー騒いで批判するのは違うと思う。それがなくなったらつまらない世の中になる》
《自分が露出するのと嫌な相手に迫られるのは全く別物じゃない? それこそミニスカート履いてたら襲われても仕方ないとか言ってるようなもんだよ》
《話題の為に脱いで見せるかどうかが、本人の意思や尊重なく行われてる可能性がある事が問題なんでしょ》

など、彼女を擁護する声も多い。

「水原は以前、インスタグラムのストーリーズで、上半身裸になって手で胸を隠して企業広告を撮影する際、《その時だけ何故か沢山の男の人、多分上層部であろう20人くらいの社員の人達がスタジオに来て、裸だから撮影中は見られたくないと伝えたけれども、写真を確認しなくてはならないからと言う理由で、結局、仕事だからと拒否できないんだよと言う理由で、沢山の男性に裸を見られる環境の中で撮影を強いられた事があった》と告発しています。時期や広告の特徴から資生堂の撮影の際のことを言っていると、ネット上で話題になりました」(同ライター)

いくら仕事とはいえ、自身の意志とは裏腹に相手に一連の行為を強要されるのは許されることではない。水原のように勇気ある告発ができる人が、この先も現れればいいのだが…。

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