千秋が“伝説の音楽グループ”に本音「嫌でした」「号泣した」

千秋 

千秋 (C)まいじつ 

人格者の大御所として名高い『ウッチャンナンチャン』南原清隆らが所属し、ヒット曲連発で『NHK紅白歌合戦』出場も果たした『ブラックビスケッツ』。その人気は1990年代後半に時代を作ったと断言していいが、共演者からは嫌われていたようだ。

「ブラビ」は『ウッチャンナンチャンのウリナリ!!』(日本テレビ系)で誕生した音楽ユニット『ポケットビスケッツ』のライバルグループ。内村光良、『キャイ~ン』ウド鈴木、千秋の「ポケビ」に対抗し、相方の南原と天野ひろゆき、台湾タレントのビビアン・スーで結成された。

9月19日、『証言者バラエティ アンタウォッチマン!』(テレビ朝日系)に、「ポケビ」でボーカルを務めていた千秋がVTR出演。この日は「90年代~芸人ヒットソングの歴史SP」というテーマで、「ポケビ」と「ブラビ」についても深掘りされたのだが、千秋は「ブラビ」について「3人とも嫌でした」と爆弾発言を繰り出す。

番組では両グループの対決がおなじみだったのだが、千秋は中でも辛かったものとして「対決をするうちに、勝ったら1人ずつ吸収する企画があって、私1人対5人になったんですよ」と回顧。「私が吸収されたら『ポケビ』がなくなる、みたいな感じで、1週間後に綱渡り対決だって急に言われて『綱渡りなんてできないもん!』って号泣した覚えがある」と苦い思い出を振り返った。

当時を知る人も共感の過酷企画

千秋はさらに、「そこからタウンページのサーカスを調べて、サーカスに片っ端から電話して」「自分のテレフォンカードで『綱渡りを教えてください』って…」と明かしていく。「たまたま木下サーカスは静岡にいるってなって、その1週間、静岡まで毎日のように朝早く行って、猛獣の声が聞こえる所で綱渡りを教えてもらった」と続けると、「1週間後に1対5で綱渡り対決をさせられた時は1番嫌だった。1人だし」と、今なお苦々しく思っていることを吐露したのだった。

「当時の日テレは『電波少年』シリーズを始め、タレントの人権を無視したような無茶苦茶な企画ばかりでしたからね。『ウリナリ!!』でも、1体3万円もするゴミのような『ブラビ像』を売り切らないとデビューできないとか、当日まで出演者が明かされず、先にゴールできた方が日本武道館でライブを行うとか、自身の手でマスターテープを破壊するとか、過酷なものばかりでした。番組のせいで、千秋が南原のグループを恨むのも仕方ないでしょう」(バラエティーライター)

ネット上にも、当時を知る人々から

《今から考えるととんでもない企画とコンプライアンスだったな》
《武道館ライブのステージにどちらが立てるか対決みたいな企画で過酷な移動で、ビビアンさんが途中嘔吐してしまうシーンがあり、当時小学生だった私には結構衝撃で今でも記憶に残ってます…》
《破壊はダミーだったかもしれないけど、当時小学生だった私は頑張って作ってたものを一瞬で壊されてしまったことがショックでした》
《ビビアンが国に帰った10年後ぐらいだったか、千秋とのわだかまりを話す番組があった。千秋いわく、スタッフが千秋とビビアン・スーをプライベートでも仲を悪くして番組を面白くしようとしたらしく、スタッフがビビアンに嘘を流し、本当に仲が悪くなって国に帰ってしまったとのこと》
《プロデューサーの無茶苦茶さに振り回された感満載の番組でしたよね》

といった声が。

当時の反省から、今の癒し系な南原の芸風が誕生したのかもしれない。

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