前東京都議会議員の政治家・くりした善行氏が、昨今注目を集める「表現の自由」にまつわる問題を提起。昭和の漫画と比べて、今の漫画は“表現の幅が狭まっている”と主張したのだが、果たしてこの指摘は本当に正しいのだろうか。
漫画の表現は不自由になった?
話題の渦中にあるのは、1月9日に更新されたツイートだ。
くりした氏はまず《久々に昔のマンガを読む機会があったのですが》と切り出すと、《「今のマンガも表現は十分自由じゃん!」という人には昭和のマンガを読んでみてほしいと思う》《いかに、知らず知らずのうちに表現できる幅が狭まっているのがわかる》という意見を主張。
続けて、《最も問いたいのは、これでより良い社会になったんでしょうか、ということ》とツイッター民に訴えかけていた。
久々に昔のマンガを読む機会があったのですが「今のマンガも表現は十分自由じゃん!」という人には昭和のマンガを読んでみてほしいと思う。いかに、知らず知らずのうちに表現できる幅が狭まっているのがわかる。最も問いたいのは、これでより良い社会になったんでしょうか、ということ。
— くりした善行 🌰 参議院全国比例/ガタケット173 D-04a (@zkurishi) January 9, 2023
ちなみにくりした氏が読んだ“昔のマンガ”とは、宮下あきらによる伝説的漫画『魁!!男塾』とのこと。同作は過激なスパルタ教育を施す「男塾」を舞台に、主人公の剣桃太郎を筆頭とする塾生たちの活躍を描いたバイオレンスアクションだ。
良い意味でどこまでも破綻を極めた作品で、くりした氏も《令和の物差しからすると色々と規格外過ぎて笑ってしまった》と感想を寄せている。
また、くりした氏は《性表現や残虐表現もよく言われますが、もしかするとポリコレに一番苦慮しているのはギャグを売りにする漫画かもしれない》とも指摘していた。
人気漫画家・よしながふみは真逆の意見
たしかに最近は、何かとポリコレ(ポリティカル・コレクトネス)に配慮した作品作りが求められており、差別的な表現や多様性を阻害するような表現への風当たりが強くなっている。
くりした氏はそんな風潮を踏まえて、今の漫画が昔の漫画よりも不自由になったと主張しているのだろう。実際、件のツイートに共感を示す人も少なくないようだ。
しかしその一方、《差別表現が減ったことは、より良い社会になった証拠でしょ。それともこの人は差別が野放しの社会がお望みなの?》《倫理的道徳的にマズイ表現を堂々と公表できることを「表現の自由」とか「表現の幅が広い」とか呼ばないでほしい。表現の自由の意味を履き違えるな》《多様な社会に合わせて表現を変えることができる方が、よっぽど素晴らしい作品になると思うけど?》といった反論も相次いでいる。
ちなみにくりした氏は“表現できる幅が狭まった”と訴えているが、『大奥』や『きのう何食べた?』などで知られる人気漫画家・よしながふみは、真逆の意見を主張したことがあった。
昨年8月に公開されたカルチャー誌『TOKION』のインタビュー「漫画家・よしながふみが語る『自身の作品』と『社会の変化』——拡がる漫画表現」で、ポリティカルコレクトネスを《物語の面白さに資するもの》として評価し、むしろ現代では漫画で描ける内容の幅が広くなったと語っている。
くりした氏の言う通り、確かに表現規制そのものは厳しくなっただろう。しかしその分、差別表現が減り、楽しく読める漫画が増えたのだとしたら、“より良い社会”に近づいていると言えるのかもしれない。
文=「まいじつエンタ」編集部
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