松本人志からの“酷評”で引退を決意も…M-1王者が抱えた悩みとは

松本人志 

松本人志  (C)まいじつ 

お笑いコンビ『フットボールアワー』が、5月24日放送の『TOKIOカケル』(フジテレビ系)にゲストで出演し、芸人を辞めようと思っていた時期と、そのきっかけを明かした。

「フットボールアワー」は、1999年に結成。その2年後に開催された漫才日本一を決める賞レース『M-1グランプリ』(テレビ朝日系)第1回大会に出場し、見事決勝にコマを進めた。

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当時の心境として、後藤輝基は「誰もがどういう大会なんかわからんような状態で始まった、みたいな感じ」と回顧する一方で、「紳助さんと松本さんが見てる前で(漫才を)やるっていうことだけが、もうビッグイベントというか」と憧れの元タレント・島田紳助さんと『ダウンタウン』松本人志の名前を口に。

現場もピリピリと緊張感の走る雰囲気に包まれていたという。

松本人志から55点をつけられた悲劇

そんななか披露した渾身のネタだが、後藤は「点数いまでこそ、最低点ってどれぐらいでしょ、85点とか? 僕ら松本さんにつけられたの55点ですから」と厳しい点数をつけられたことを告白。

「松本さん、紳助さんの点数が低すぎて、もう辞めようかと僕思ってたんですよ」「もう憧れてる人が50なん点出すってことは『もうナシです』って言われてるようなもんですから、『もう辞めよう』とホントに思ってて」と芸人を辞めようとしていたと明かすのだった。

「実はこれを機に相方の岩尾望も芸人を辞めようと考えていたそうです。しかしながらネタの作り方を変えて試行錯誤した結果、2002年・2003年大会でも決勝に進出。2003年には見事優勝したものの、本人たち曰く、点数が跳ねあがった2002年の大会が『優勝したときより嬉しかった』と話しています。

松本さんは2002年大会で、フットボールアワーに自身最高の85点をつけており、2003年大会に至っては97点という結果。年々、審査員の平均点が上がっているとはいえ、2年で約〝40点〟のポイントアップは誰も予想していなかったでしょう」(芸能ライター)

芸人街道を順風満帆に歩んできたイメージのある「フットボールアワー」だが、意外にも苦汁をなめていたとは…。ある意味、後輩芸人たちに夢を与えるエピソードである。

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