故・ジャイアント馬場夫人の元子さん死去「昭和プロレスの終焉」

(C)まいじつ

故・ジャイアント馬場さんの妻で、全日本プロレスの元社長だった馬場元子さんが亡くなった。

「元子さんは馬場さんと全日本プロレスを献身的に支えてきました。1999年に馬場さんが亡くなった後、看板選手だった三沢光晴ら選手のほとんどが『プロレスリング・ノア』に移籍する危機に見舞われましたが、2000年に元子さんが全日本プロレスの社長に就任し、武藤敬司らを迎え、苦しい時期を乗り越えました」(プロレスライター)

その後、元子さんは2002年に社長職を退いたが、その後も社長に就任した秋山準を支えるなど、最後まで馬場さんが作り上げた全日本プロレスを見守り続けた。

秋山はツイッターで元子さんの訃報を報じた記事を引用して投稿し、その死を悼んだ。

 

全日本プロレスを立て直した功労者

SNSでは元子さんを追悼する投稿が広がっている。

《古きよきプロレスの時代を支えたレジェンドがまた1人逝った》
《確執があった三沢光晴と同じ場所に召された。今度こそ仲良くね》
《さようなら、馬場を支えてくれてありがとう》
《プロレスを愛した本物がまた一人亡くなった》

「三沢たちが抜けたときの全日本プロレスは、6名しか残りませんでした。川田利明、渕正信、レフェリーの和田京平、リングアナウンサーの木原文人、広報が1名、そして元子さん。ここから持ち直すのに相当な神経を使ったと思います」(スポーツジャーナリスト)

元子さんの面倒見のよさが伝わるエピソードからも、ご自身を犠牲にしていた様子がうかがえる。

「馬場さんの作った全日本を守るため、ときには矢面に立って戦っていました。給料が安いレスラーに肉を差し入れるなど、細やかな気遣いもできる人でした」(全日本プロレス関係者)

三沢ともめた原因はファイトマネーの配分だともいわれているが、いずれにせよ、皆が鬼籍に入ってしまったため真相は分からない。お悔やみ申し上げます。

 

【あわせて読みたい】