ネット登山家の死亡で「感動ポルノ」批判が再燃

感動ポルノ

(C)kimberrywood / Shutterstock

5月21日に登山のネット中継で賛否あった栗城史多さんがエベレストの登山中に死亡したことを受けて、インターネット上では“感動ポルノ”について疑念の声が上がっている。

“感動ポルノ”とは、初めてその言葉を用いた人権アクティビストのステラ・ヤング氏によると、《「清く正しい障害者」が懸命に何かを達成しようとする場面をメディアで取り上げること》とされている。近年では、日本テレビのチャリティー番組『24時間テレビ』で障害者のチャレンジを過剰に盛り上げていることを視聴者が疑問視し、NHKでもそれを批判するような内容の番組を放送したことで話題となった。

「栗城さんは、過去にエベレストへの登頂を失敗したときに両手の指を合計9本も凍傷で失いました。それでもエベレスト登頂に再挑戦する姿が感動的だとしてメディアが取り上げ、特に今回の登頂はインターネットテレビ『AbemaTV』が生中継することになっていました」(山岳雑誌ライター)

栗城さんについては、以前より「実力不足の無謀な挑戦」などと批判され、「いずれは死につながる」などと忠告する専門家らも多かった。それにもかかわらず、今回再び“無謀な挑戦”を試みたのは、メディアやスポンサーの責任もあるのではないか、との意見もある。

「栗城さんが生中継を意識して、無理に登ろうとしていた面は多少なりともあるのではないでしょうか。スポンサーやファンたちからの応援が、逆にプレッシャーとなっていたことも考えられます」(同・ライター)

 

「期待」が「煽り」になってはいないか

ネット上の反応の多くも、栗城さん本人やその支持者らに批判的だ。

《大したトレーニングもしていなかったんだから自業自得》
《スポンサーからカネを集めるために無茶しちゃったんだろうな》
《マスコミは美談にしたがっているけど、これは教訓にしなければならない話》
《生中継がなければ、いつもみたいにもっと早く下山して、無事に帰れただろうに》
《感動ポルノを持て囃しているやつらは、これに懲りてもうやめろ》
《メディアはどうせまた次の感動ポルノを探すだけ》

人が何かを成し遂げる姿は確かに感動的ではある。しかし過剰な“煽り”は、かえってその人を追い詰めてしまうことになりかねない。

 

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