まるで北朝鮮のよう!?キリスト教の「裏面史」

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日本でも某経済誌が“神社本庁”の特集を組んだが、ドイツの週刊誌『シュピーゲル』(5月19日号)も世界に13億人以上の信者を有するローマ・カトリック教会の総本山『バチカン法王庁』の歴史を10ページにわたって特集した。現在のバチカンには、神父の妻帯問題など瑕疵がないわけではないが、一般に認識されている“平和の使徒”とは違う“裏面史”がある。

32代までの法王はすべて殉教したが、ローマ帝国のコンスタンチヌス大帝が西暦313年にキリスト教を公認し、テオドシウス1世が392年にキリスト教を国教とすると、キリスト教はローマ帝国で急速に影響力を拡大していった。例えば、第49代法王のゲラシウス1世(在位492~496年)は「法王の権力はこの世の権力者のそれを凌ぐ」と豪語するほどにまで強大な存在と化している。

その後、バチカンの歴史は地上に出現した独裁者と同じ道を歩み、蛮行、腐敗、殺害を繰り返していく。その結果、キリスト教会は権威を失い、中世に入るとバチカンは衰退していった。そういった状況のなかで1095年にウルバヌス2世(在位1088~99年)が十字軍運動を呼び掛け、異教徒の追放に乗り出し、イスラム教徒からエルサレムを解放するため最初の十字軍遠征を始めている。そして1099年7月にはエルサレムを奪い返した。

「キリスト教徒の十字軍遠征では殺害、暴行などが行われましたが、最悪の虐殺は、同じキリスト教の宗派で、南仏で広がっていたカタリ派への迫害で、犠牲者総数は2万人とも推定されています。1231年には異端裁判所が設置され、教会の教義に反する聖職者や信者たちが拘束、殺害されました。異端裁判所は“ローマ法王の拷問室”と呼ばれたほどです」(宗教ジャーナリスト)

 

愛人を多数抱えていた法王も

好色な法王もいた。ルネサンス期のアレキサンデル6世(在位1492~1503年)は、50人の愛人を抱えるほどで、しかも強欲、残虐で殺人を繰り返している。しかも息子のひとりだったチェーザレを17歳で枢機卿に就任させるなどの恣意的人事もおこなっている。

折しも日本政府はユネスコに対し“隠れキリシタン”を世界遺産に登録するように本格的な働き掛けをし、登録が確実視されている。しかし当時の宣教師は、日本人を拉致し、インドやアジア各国へ奴隷として売り飛ばして巨万の富を稼ぎ出していたという実態があった。

ダーティーな歴史があることを忘れてはならない。

 

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