【吉見健明のダッグアウト取材メモ】ミスターが認めた「理想の指導者」山本功児

巨人の現役時代は王貞治氏の控えではあったが、腐らずに忠実に代打という職務を全うして高打率を残した。1999~2003年まで千葉ロッテ監督、2005年には巨人一軍ヘッドコーチ…ミスターは彼を指し「先輩に頼られて、後輩には慕われた理想の指導者!」と誉めたほどだ。

ロッテと巨人のトレードが潤滑に行われるパイプを作ったのも彼だ。

1984年にロッテに移籍、1988年に現役引退、1989~2003年まで指導者としてロッテに仕えた。ロッテの重光オーナーからは「生え抜きと思っている」と信頼も厚かった。

「巨人OBのレッテルをかなぐり捨て、ロッテの生え抜き選手を育てていた」と当時ロッテ担当だったスポーツニッポンの武田幹雄記者が語る。

彼は法政大学野球部の後輩ではあるが、グラウンドで取材する機会は一度もなかった。法政大出身のプロ野球選手はとかく問題児が多く、功児のような真面目なタイプは珍しかった。

プライベートで私が功児と会ったのは、銀座のクラブだった。最初で最後のこれ1回きり。功児が行きつけのこじんまりとしたクラブで、当時はヘネシーのブランデーが好きだったようだ。

酒には強いと聞いていたが、その飲み方は乱れることなく礼儀正しいジェントルマン。ドンチャン騒ぎが大好きな私の法政の親友である田淵幸一、山本浩二らとは180度違っていた。