木村が日本代表の主将に就いたのは2013年。前年のロンドン五輪までは、セッターの竹下佳江(38=2013年7月現役引退)がチームをまとめていた。
前任の竹下時代を知る関係者が次のように証言する。
「竹下は身長が低いため、『竹下で負けた』と批難された時期があり、一時はバレーを辞めようと、郷里の北九州に帰ってしまったこともありました。そこから這い上がってきたので、とにかく自分に厳しく、常にピリピリとしたムードが漂っていました」
竹下はチームをまとめ上げると同時に唯一無二の司令塔でもあった。
「ロンドン五輪までは竹下がスパイカーの木村に攻撃の指示をしていました。いまは木村がセッターをリードしています」(体協詰め記者)
いまの代表選手の中にも、当時を知るメンバーは多く、いまでも竹下は大きな存在だという。
一方、17歳で代表入りした木村は、当時は周りが先輩だらけだった。竹下からも厳しい指示や発言を向けられながら、代表選手に定着していった。
その竹下から主将の役割を託された木村は、それからこれまでにはない言動を見せるようになったという。