年収・子ども・休日・旅行…「平凡な家庭」の定義とは?

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日常でなんとなく使っている「平凡」や「普通」、「平均的」という言葉だが、いざ定義を決めようとすると難しい。とくに個々人の〝家庭〟をカテゴライズする場合には、慎重な意見が求められるだろう。最近では、とある掲示板で「平凡な家庭が一番幸せ」と投稿する人が現れ、さまざまな反響を巻き起こしている。

投稿者の女性は、平凡な家庭の条件として「平均年収」「子どもは2人」「休日はショッピングモールに出かける」「年に何回か旅行へ行く」という4点を列挙。投稿者自身も条件に当てはまるような家庭を持っており、幸せを感じているそうだ。

しかしネット上では〝平凡〟の条件をめぐって、激しい議論が行われることに。《年に何回か旅行に行ってる時点で金持ちでしょ》《その生活をするには平均年収以上が必要》《今は平均年収で子ども2人を持つのも難しい世の中だよ》《平凡な幸せ=金持ちの特権ってこと?》といった反発の声が上がっていた。

さらに「平凡な家庭が一番幸せ」という価値観に違和感を抱く人も多いようで、《一番って何? うちは子どもがいないけど十分幸せだけど》《何をもって一番とするかは人それぞれじゃない?》《一番幸せかどうかは、あくまで自分が決めること》といった意見も相次いでいる。

「平凡ではない家庭」に賛否の声も

どんな価値観を抱いて生きるのも、結局はその人の自由だ。「平凡な家庭」を至上とする価値観がある一方、突き抜けた理想像を持つ人も存在するようだ。昨年11月、タレントの加藤紗里は不動産会社の経営者と入籍していたことが判明し、世間から「玉の輿狙い」といった声を浴びせられることに。それに対して、加藤は自身のインスタグラム上で「紗里にだってもちろんLOVEはあるけど… LOVEは価値が落ちたり消えたりするじゃん? けどYENは価値も落ちないし消えたりしない」「ようはLOVEよりYENの方がよっぽど信用出来るってこと」と堂々と反論を繰り広げていた。

加藤の披露した価値観に対して、一部では《ある意味、正論。清々しい》《言ってることは間違っていない》《結婚して20年目だけど、ぶっちゃけ正論だと思う》《お金がない人と結婚しても、年月が過ぎて愛がなくなったら最悪。そう考えると、お金はあった方がいいのかも》と共感する声も上がっている。真意は本人にしか分からないが、加藤にとってはお金を好きなだけ使える生活が〝一番幸せ〟なのだろう。

自分にとって平凡な幸せを目指すべきか、平凡を超えた豊かな生活を求めるべきか…。結婚というのは、人生の最後まで結論が出ない難問なのだろう。

文=川崎かほ

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