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多目的トイレを使用した複数の女性との不倫によって、いまだに世間を騒がせている『アンジャッシュ』渡部建。もちろん不倫・浮気は他人を傷つける行為であり、義憤をおさえられない人も多いだろう。しかし最近では、不倫の重罪化を批判する声も大きくなっているようだ。
2020年12月27日に放送された『ワイドナショー』(フジテレビ系)では、『ロンドンブーツ1号2号』の田村淳がコメンテーターとして出演。昨今注目を浴びている「芸能人の不倫問題」について、不倫は家庭の問題であり、公の問題にする必要はないという考え方を語った。
田村いわく、芸能人の不倫は実際に迷惑をこうむった当事者やスタッフの中で問題にするべき事柄。第三者が口出しする必要はないとして、「みんなで共通認識として議題に持ち上げて、良いとか悪いとか言うこと自体が、なんか解せないなと思っていた」と明かす。
たしかに芸能人や知名度のある人物が不倫を行うと、連日のようにメディアで取り上げられるもの。その論調はかなり厳しく、法に反した犯罪のような扱いとなっている。しかしネット上では、田村と同様の疑問を呈する声も少なくない。
12月3日、渡部が「多目的トイレ不倫」に関する謝罪会見を行った際にも、激しい賛否両論が巻き起こっていた。会見において芸能レポーターが終始、高圧的な態度を取っていたこともあり、渡部に同情する人は多かった様子。SNS上では《渡部の会見、いじめにしか見えないよな。悪いことした奴なら何してもええんか?》《渡部の謝罪会見チラッと見たら大人のイジメみたいだった。可哀想に》《不倫は犯罪じゃないのに、世間からのバッシングがすごいよね》といった声が目立っていた。
その一方、不倫行為についてはどれだけ責められても当然という考え方もあるようで、《なんで渡部がかわいそうな感じになってんの? いじめでもなければリンチでもない! 悪い事したんだから何言われたって仕方ないでしょ!》《渡部の件って全く可哀想じゃないよね。潔く引退すればいいんだよ》《完全に欲を満たすだけの不倫。最低だし、気持ち悪い》といった批判も。擁護派と否定派の論調は真っ二つに分かれ、ほとんど対話が成立しないレベルにまで価値観が異なっているようだ。
第三者は芸能人の不倫をどこまで裁くべき?
芸能人の不倫は世間から激しいバッシングを受けるものだが、誰もが致命傷を負うわけではない。たとえば『ダウンタウン』の浜田雅功は1990年頃、妻・小川菜摘が妊娠している期間にセクシー女優と不倫したことで話題に。その後、元グラビアアイドルとの不倫報道などもあったが、現在では世間から糾弾されることもなく芸能界の第一線で活躍している。
もちろん渡部の場合には多目的トイレに呼び出し、都合よく関係を持っていたため、浜田のケースと一緒くたに考えることはできない。女性を呼びつけ、事後に金銭を握らせるという行為は不倫というよりも売春に近い…という考え方もある。しかしそれ以上に批判を加速させたのは、謝罪会見の雰囲気だろう。
会見中、渡部は誰に対する謝罪なのかを明確にせず、全方位的な謝罪を繰り返している。世間からの批判はすべて受け入れるというスタンスであり、まるで犯罪を行ってしまったかのような態度だった。
反省している姿勢を見せることは大切だが、過剰に罰を受け入れるという態度を示せば、第三者にバッシングの大義名分を与えてしまうことになる。そして熱を帯びた批判は、誹謗中傷と区別がつかなくなっていくかもしれない…。
芸能人の不倫に憤りを覚えたとしても、「自分は問題の当事者ではない」とブレーキを踏むことは大切。第三者の側としては、冷静に不倫問題と向き合っていく方法を考えるべきだろう。
文=城門まもる
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