子どもは産むべきでない?『進撃の巨人』で話題を呼んだ“反出生主義”の恐るべき魔力

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ここ最近、「反出生主義」という思想が大きな注目を集めている。反出生主義のエッセンスは『進撃の巨人』や『劇場版ポケットモンスター ミュウツーの逆襲』といったポップカルチャーにも流れ込んでおり、激しい共感と猛反発を招いているようだ。一体なぜ、人はこの思想に魅了されてしまうのだろうか。

そもそも反出生主義とは、読んで字のごとく、出生に対して反対する立場のこと。誰もが一度は思ったことがある「生まれなければよかった」「生きるのが嫌になってしまった」といった感情を、思想として成立させたものだ。

反出生主義にはさまざまなバリエーションがあるが、有名なのはデイヴィッド・ベネターという思想家が唱えた「出生害悪論」だ。ベネターによると、人が存在することはつねに害悪である。人が生きていると快楽と苦痛が生じるが、もし生まれてこなければどちらも存在しない。そして〝快楽の不在〟は別に悪いことではないが、〝苦痛の不在〟は誰にとっても大きなメリットとなる。つまり、トータルで考えると、人が生まれてこないのは生まれるよりも〝つねに良いこと〟と言わざるを得ない…ということだ。

難しい話だと思うかもしれないが、もっと単純化して言うなら「苦痛を受けるくらいなら、生まれてこない方がよかった」という感情に近いだろう。また、反出生主義は自分だけでなく、将来生まれてくる子どもにも当てはまる。つまり、「子どもは産むべきではない」という考え方だ。

一見極端で過激な思想のように見えるが、反出生主義は男女問わず、多くの人を虜にしつつある。ツイッターやネット掲示板では、同じ思想をもった人々が集まり、意見を交わすことも。実際にその場を覗いてみると、《すべての出産は親のエゴ》《一部の大金持ちとか上級国民をのぞいて、こんな世の中に産まれてくるだけでかわいそう》《普通に生きてれば子どもを欲しがるってのがそもそもの間違い。普通に生きてきて、普通に反出生主義です》《この世は正直地獄だと思っているから私は子どもを作らなかった》といった声が目に飛び込んでくる。

今日を生き抜くための反出生主義

「何も生み出さない」という反出生主義の考え方に対して、拒否感を抱く人も多いだろう。しかし時には、反出生主義が救いをもたらしてくれることもある。

そもそも現代社会では、「生産性」という言葉が強い意味をもつ。たとえば2018年には、衆議院議員の杉田水脈氏が『新潮45』誌上でLGBTカップルの生産性について議論。「彼ら彼女らは子どもを作らない、つまり『生産性』がないのです」と差別的な文章を綴り、世間から激しいバッシングを浴びた。

また、もっと日常的なシーンでも、「生産性のある仕事」などと言われることがある。そうした言葉が意味するのは、金銭を始めとする新たな価値を生み出せというメッセージだ。

生産性を重んじる社会では、何の役に立つかわからないものは排除されてしまう。会社や家族との関係において「自分には価値があるのだろうか?」と不安になり、ストレスを感じたことがある人もいるはずだ。そうした価値観を押し付けてくる社会にあって、反出生主義は1つの逃げ場を用意してくれるだろう。

「誰が生めと頼んだ。誰が作ってくれと願った。私は私を生んだすべてを恨む」。これはクローン技術で生み出されたミュウツーによる呪詛の言葉だ。そして、最も有名な反出生主義者の言葉でもある。

私たちはなぜ生きるべきなのか。また、誰のために生きるべきなのか。世間の常識に振り回され、疲れ果ててしまった時には、反出生主義があなたを導いてくれるかもしれない。

文=田村瞳

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