四大少年誌を渡り歩いたレジェンド作家… 鈴木央が『七つの大罪』を描けた理由

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かつて『進撃の巨人』の作者・諫山創が『週刊少年ジャンプ』に持ち込みし、酷評されたというのは有名な話。その後「進撃の巨人」が大ヒットしたことで、編集部の見る目のなさが揶揄されるようになってしまった。しかし実は「ジャンプ」では、他にも才能ある作家を何人も逃している。今回はその内の1人、鈴木央(すずき・なかば)の奇妙な人生について掘り下げていこう。

最近の漫画ファンにとって、鈴木はアニメ化もされた『七つの大罪』の作者としてお馴染みだろう。現在は続編にあたる『黙示録の四騎士』を『週刊少年マガジン』で連載しており、すっかりマガジン作家としての印象が強い。しかし実際には1996年に「ジャンプ」でデビューし、その後『週刊少年サンデー』や『週刊少年チャンピオン』など4大少年誌を渡り歩いた苦労人だ。

最初の代表作となる『ライジングインパクト』は、1998年から「ジャンプ」で連載スタート。同作は少年がプロゴルファーを目指して奮闘するというユニークな話だったが、少年誌とゴルフという食い合わせの悪さからか、打ち切りの憂き目にあう。一度は読者人気の高さから連載再開を果たしたものの、結局大ヒットとまではいかなかった。続いて鈴木は、よりジャンプの方向性に沿った格闘マンガ『Ultra Red』を連載するが、こちらも短期間で終了している。

並みの作家であれば、ここから迷走が始まりそうなものだが、鈴木の実力は他社の編集部でもすぐに認められたようだ。2005年には小学館の「サンデー」にて、『ブリザードアクセル』という作品を連載開始。フィギュアスケートというこれまた渋い題材の漫画だったが、単行本11巻で終了を迎えた。

それに続いて連載した『金剛番長』は、作風をガラッと変えた『魁!!男塾』のような熱い不良マンガ。コアな人気を博したが、鈴木がもともと得意としていた作風とはかけ離れていたため、当時のファンは気が気ではなかっただろう。