細田守『竜とそばかすの姫』は歌と映像美だけ? こじつけ脚本に「他の人に書いてもらって」

細田守『竜とそばかすの姫』は歌と映像美だけ? こじつけ脚本に「他の人に書いてもらって」

細田守『竜とそばかすの姫』は歌と映像美だけ? こじつけ脚本に「他の人に書いてもらって」 (C)PIXTA

公開から約1カ月で興行収入50億円を突破し、細田守監督作品において最大のヒット作となるやも…という勢いの映画『竜とそばかすの姫』。巷では好意的に評価する人も少なくないものの、こと脚本のクオリティーに関しては落胆の声が溢れかえっている。

※『竜とそばかすの姫』の内容に触れています

同映画の主人公・すずは母を亡くしたショックで、歌唱の際だけ吃音のような症状が出てしまうという設定。ある日、すずは50億人以上が参加するインターネット上の仮想世界「U」に、ベルというアバターで参加する。アバターを通すことで歌を披露できるようになり、その内「U」の中で「歌姫」として注目の的となっていく。そんな中、すずは「U」で荒らし行為を繰り返して世界中から嫌われる謎の人物・竜と出会う──。

「U」の映像美には細田の手腕が発揮されており、まさに圧巻の出来栄え。また、すずの声優を務めるシンガーソングライター・中村佳穂の歌もきわめて評価が高く、映画館で観た人々は《歌と映像はとても良くて映画館で観て良かった!》《圧倒的なスケールの映像美と音楽がすばらしかった 主役の人の歌声が特に良い》《一言で表すなら、未来的な音と映像のパフォーマンスという感じでしょうか。斬新で引き込まれる映画でした》と歌と映像の良さを語っている。

見せ場先行のこじつけ… 細田守は演出に専念すべき?

他方で、細田が担当した脚本への評価は決して芳しくない。ネット上の感想を見てみると、《脚本が根本的に無茶苦茶なので面白くない》《正直、細田監督は脚本を他の人に書いてもらったほうが良い気がするんだよな…》《「撮りたい場面が浮かんだら、脚本の整合性を投げ捨ててでもその場面を作ることを優先する」のが細田守の悪癖だと理解するしかない》と厳しい声が相次いでいた。

恐らくその原因は、随所に見られる詰めの甘さにある。見せたいシーンを詰め込みすぎているためか、いたるところに違和感があるのだ。もちろん、辻褄を全て合わせることが重要というわけではない。だが、それを踏まえても「竜とそばかすの姫」には腑に落ちない部分が多い。

たとえば、すずの周囲に傍観者しか存在しない点。すずの母親が死んだ時、周りが傍観しかできなかったことに重ねた表現なのかもしれないが、未成年のすず1人がリスクを負う場面で、大人や幼馴染らが何もアクションを起こさないのは疑問が残る。

全員が非情ならまだしも、母親代わりと言わんばかりの大人たちや、保護者のように接する幼馴染など、誰もが良い人のように描かれていた。だが非常時には誰もすずを守ろうとしないため、全員が口先だけという印象を受ける。周囲のキャラが最善の行動を取るとストーリーを成立させるのが難しいため、すずの見せ場を優先した結果なのかもしれないが…。

他にも何の伏線もなく「実は~だった」という後出し展開が何度かあったり、各キャラの掘り下げが甘く、それぞれの心理や行動原理が分かりづらかったりと、ツッコミどころが満載。また、名作『美女と野獣』のオマージュが先行するあまり、表現がこじつけっぽくなっているという批判もある。

これまで多くの映画好きが「細田監督は自分で脚本を書くべきじゃない」という説を唱えていたが、「竜とそばかすの姫」はその典型的な例となるだろう。方針転換のチャンスを失ったと考えると、同作のヒットには複雑な感情を抱かざるを得ない。

文=野木

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