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人生において、誰もが一度は生き方に迷うもの。受験・恋愛・就職……さまざまなイベントにおいて、のっぴきならない苦境が降りかかってくるでしょう。とくに今はコロナ禍という非常事態の中で、生きる希望が見えにくくなっているのも確かです。
もし人生を諦めそうになったら、人は何に救いを求めればいいのか…。そんな難問と向き合っていた時、ヒントを与えてくれたのが映画『魔女がいっぱい』でした。本稿では、同作に秘められている生き方の指針を解き明かしていきましょう。
“恐怖”を追求するキャスト・スタッフたち
『魔女がいっぱい』は、12月4日に劇場公開されたホラー・ファンタジー映画です。主人公はわずか10歳で交通事故により両親を亡くし、祖母に引き取られた男の子。物語の歯車は、彼がアン・ハサウェイ演じる怪しい女性と出会ってしまうところから動き出します。
主人公は間一髪で逃げることに成功しますが、怪しい女性の正体が魔女だったことが判明。祖母によると魔女は子どもが嫌いで嫌いで仕方なく、この世から一人残らず子どもを絶滅させようと企んでいるのだと言います。彼らは魔女から逃れるため、高級ホテルへと向かうのですが、折り悪くそのホテルには世界中の魔女が集まり、大集会を行っていました。
隠れていたことがバレた主人公は、ねずみへと姿を変えられてしまうことに。さて、彼は元の姿に戻り、魔女たちの企みを阻止できるのでしょうか……。
主人公の「ぼく」を演じるのは、ジャジール・ブルーノという新人子役。祖母役のオクタヴィア・スペンサーは、『シェイプ・オブ・ウォーター』や『ドリーム』など、数々の大作に顔を出しているいぶし銀の役者です。そして大魔女役のアン・ハサウェイは『プラダを着た悪魔』や『レ・ミゼラブル』などに出演してきた、言わずと知れた人気女優。
これまでは美しいヒロインや誰もが憧れる女主人公など、きらびやかな役を演じてきましたが、今回は恐ろしい魔女の役。その演技の恐ろしさと苛烈さは、子どもが見たらトラウマ必至。大人が見てもショックを受けてしまうかもしれません。
監督のロバート・ゼメキスは、『バック・トゥ・ザ・フューチャー』シリーズや『フォレスト・ガンプ』などで名を馳せた名監督。映画ファンの間では、闇が深い描写をしれっと盛り込んでくることで知られています。また脚本関係者の1人としてクレジットされているギレルモ・デル・トロも、同作の“恐ろしさ”を倍増させるのに一役買っているでしょう。
ギレルモ・デル・トロは『シェイプ・オブ・ウォーター』や『スケアリー・ストーリーズ』、『パンズ・ラビリンス』と、クリーチャーの造形に強いこだわりを持っている映画監督。本作でも魔女の造形や襲いかかってくる時の動きなどを、リアルかつおどろおどろしく仕上げてくれたものと思われます。
魔女がいっぱい、災厄もいっぱい
キャスト・スタッフ共に、人間の根源的な恐怖をとことん追求しているこの映画。冒頭から、いきなりとんでもない災厄が降りかかります。主人公は家族全員でドライブしていたにも関わらず、両親だけが交通事故死。わずか10歳にして、目の前でわけもわからない内に両親を失ってしまいます。そして祖母に引き取られてようやく生きていけると思いきや、今度は魔女に目をつけられ、ねずみにされてしまうことに…。
こんな悲惨な話を書いたのは誰だ!と作者の家まで押しかけたい気持ちに駆られますが、原作は『チャーリーとチョコレート工場』や『ジャイアント・ピーチ(おばけ桃の冒険)』などを書いたロアルド・ダール。基本的には勧善懲悪で、子ども向けのハッピーエンドを描くことが多いのですが、この「魔女がいっぱい」はどう見ても“ダーク”な作風だと言えるでしょう。ハッピーどころではない災厄は主人公だけでなく、他の子どもにまで降り掛かっていきます。
では、同作には一体どんなメッセージが込められているのでしょうか?