女子中学生36人が集団溺死 日本史上最悪の水難事故「橋北中学校水難事故」

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夏休みに入り、水難事故が相次いでいる。8月13日には、京都府木津川の下流で男の子が浮いているのが見つかった。その後、男の子は死亡が確認されている。

警察によると、見つかったのは11日に木津川で流され、行方不明になっていた3歳の男の子。同日午後に「浮き輪を付けたまま川の下流に流され、姿が見えなくなった」と消防に通報が寄せられており、安否が心配されていた。

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昨年の水難事故件数は1346件。前年比マイナス49件となったが、水難者は15人増の1640人、死者・行方不明者数は727人に上る。

近年は水難事故に対する危機意識も高まっており、2020年まで緩やかに減少していたが、その後は増加に転じている。

特に子どもの事故は1度に複数人が溺れることが多く、死亡者の増加に繋がっているのが現状である。

国内史上最悪の水難事故と言われているのは「橋北中学校水難事故」だ。

「橋北中学校水難事故」の発生原因は…?

1955年7月28日、三重県津市の女子生徒36人が、同市の中河原海岸で水泳訓練中に溺死。現在も命日には亡くなった女生徒の冥福を祈る灯籠流しが行われ、人々が黙祷を捧げている。

「当時はプールが常設されていない学校も多く、海で水泳の授業が行われるのは、珍しいことではありませんでした。事故があった当日は、水泳の能力テスト実施日で、参加した生徒は約200名。その多くは泳げず、海に入ってから数分後、およそ100名が溺れたといわれています。すぐさま救助が駆けつけ、49名が引き上げられましたが、36名が帰らぬ人となりました」(防災ジャーナリスト)

事故原因については諸説ある。直前に通過した台風の影響で潮の流れが異常だった沿岸流説や、小型船の「波が2m以上あった」という証言から、蹴波説などが有力のようだ。

しかし一方で、事故があった4年前の1951年7月29日に小学生の男の子が水死していることや、第二次世界大戦時、アメリカ軍による空襲で焼死した遺体がこの海岸に埋められたことから〝亡霊説〟を唱える人も少なくない。

例年、7、8月は水難事故が急増する。これから秋口に掛けて台風も増えてくるだけに、くれぐれも安全に注意を払ってほしい。

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