『呪術廻戦』炎上でファン激減…? 漫画における“パクリ・オマージュ論争”が再燃

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『呪術廻戦』16巻(芥見下々/集英社)

12月24日に劇場版の公開を控え、ますます人気に火がつくと予想されている人気漫画『呪術廻戦』。作者・芥見下々の体調不良によって『週刊少年ジャンプ』での連載は休止中なのだが、ここにきてファン離れが進んでいるようだ…。

『呪術廻戦』のファン離れが進んだ原因は、他作品からのパクリが指摘されているから。ここ最近では、6月4日発売のコミックス16巻に収録された、夏油傑の「うずまき」という技が話題になっていた。

「うずまき」は、取り込んだ呪霊をまとめ、相手にぶつける呪霊操術の奥の手。人体が渦巻き状になったおぞましい姿が描かれているのだが、この描写が伊藤潤二による漫画『うずまき』シリーズに出てくる渦を巻いた形の死体と、ほぼ同じデザインなのだ。

芥見は16巻のおまけページで、夏油の「うずまき」について、伊藤や各関係者に許可を取ったと公言。16巻では『ジャンプ』掲載時から修正が加えられており、《伊藤先生のタッチに近づけたい!!》という思いで書き直したという。そして、パロディーやオマージュの線引きについて、《色々な人(今回の場合、伊藤先生)の優しさに甘える前提であることは否めません》と語っていた。

“パクリ”だらけの『呪術廻戦』を叩く声

しかし、夏油の「うずまき」が、伊藤の『うずまき』が引用元だと知らない読者は憤慨。《この作者大丈夫なんか? 元ネタを隠さずオマージュと言い張れば、そのまま丸パクリしても問題ないと思ってるってことやろ?》《事後承諾って認められるまでは実質は無許可盗作》《オマージュとかいうレベル超えてるでしょ。修正後もなんかもう修正した?っていうレベルで、売れてるからとかそういう問題じゃない。仮にもプロでしょってところ》《呪術のうずまきは、パクリだろ。あまりに似すぎって騒がれたからオマージュって体にしたけど》などと指摘する声があがっていた。

この騒動が拡散されると、休載中の同作に《呪術はもう応援できん心持ち》《呪術を丸パク、オマージュしたの出しても事後承諾で絶対にOK出してくれるよなw》《真人戦の決めゴマカッケーと思ったら、構図もコマ割りもゲンスルー戦の丸パクリで草だった》《パクリで手を抜いた結果、読者にジャンプと漫画業界への不信を抱かせてしまった。後のことを考えると大損》《芥見下々パクリを一切謝罪しないの本当に嫌い。「呪術廻戦に使ってもらえたことは名誉なこと」とか思ってそう。天罰下ってほしい》といった声が広がることに。過去のエピソードや描写を掘り返し、パクリを指摘する声が相次いでいる。しかし、果たして、他作品からの引用は本当に悪なのだろうか?

ネット上の『呪術廻戦』や漫画ファンの中には、《人間って簡単に踊らされるよな》《例の騒動を理由にするなら「呪術」は1話の時点で「ブリーチ」と「ナルト」のオマージュじゃん。はじめから呪術読むのに向いて無いよ》《呪術パクリってばっかり言われてるけど、トレスって訳でもないし、そんな悪いことしてるか?》《ジャンプ系ってオマージュ多くて、昔の作品知ってると新作がDNA引き継いでる子孫みたい》《呪術はオマージュとかパクリとか含めて楽しんでるんで大丈夫です》といった冷めた声も多い。

そもそも“オリジナルの表現”ってなに?

手塚治虫が『ジャングル大帝』の連載を開始してから70年以上が経った現在。そもそも漫画やアニメ表現に本当のオリジナルはあるのだろうか? 手塚自身もディズニーに大きな影響を受けており、初期作品にディズニーの影響が色濃く見られる。また、海外でも人気の大友克洋による『AKIRA』が、フランスのアーティスト・メビウスに大きな影響を受けたのも有名な話だろう。

他作品からの引用は、作品表現のメソッドであり、その作品がどういった血肉で構成されているか紐解く材料になる。むしろ引用をつぎ込み、作品を作ることによって、表現をひとつ上のレベルに昇華できるとさえ言えるだろう。

最近の『呪術廻戦』ブームを受け、〝人気が出たから〟という理由で初めて作品に触れた読者も多いだろう。もちろん人気が出たからという理由で作品に乗っかること自体は、なにも悪いことではない。しかし、『呪術廻戦』第1話が掲載された『ジャンプ』で、『呪術廻戦』がここまでの人気を獲得する漫画になると予想できた読者は何人いただろうか。もちろん目利きの漫画好きや『ジャンプ』編集部の中には、ヒット作になると予想していた人もいるだろう。しかし、その人たちは『呪術廻戦』をどのような基準で評価したのだろうか。それは他作品から、どのように影響を受けたかという、経験や触れた作品の物差しでしか判断できない。

〝個性〟や〝オリジナル〟という言葉が持て囃される現代は、とある表現に注目が集まると、その作品が0から生み出されたモノだと勘違いする人が多い。しかし『鬼滅の刃』や『エヴァンゲリオン』、デヴィッド・ボウイ、ドレイクなども含め、すべての作品は1を10にしたものと言える。

もちろん表現における形式と主題をすべて引用していれば、糾弾されるべきだろう。例えば、1枚絵を商品として販売する場合のトレスや模写はNG。形式と主題をモロにパクっているからだ。

引用とは、形式や主題の問題だけでなく、センスや技量も問われることになるのは間違いない。『呪術廻戦』をパクリだと糾弾することは、今までの漫画の歴史を全否定することにもなる。パクリを糾弾する人たちは、漫画に限らず、音楽やアニメなどの表現に触れてこなかった、または本質に触れたことがないのだろう。そもそも『呪術廻戦』をパクリだと指摘する人たちは、芥見よりも漫画を読んでいるのだろうか。漫画を深く愛する芥見よりも、漫画好きではないことは確かだ。

文=「まいじつエンタ」編集部
写真=まいじつエンタ
■『呪術廻戦』16巻(芥見下々/集英社)

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