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男女の精神性を比較したとき、よく聞かれる俗説に「何歳になっても男には子ども心がある」というものがある。無邪気なことは結構だが、幼稚な内面のままでは困りものだ。運悪く、幼稚な精神の男に捕まったことで、人生設計に支障をきたした女性も少なくない。
これはある質問サイトに投下された悩みなのだが、30歳になる女性は、2年間付き合って同棲もした同い年の彼氏と破局。彼氏とは実家や墓にも行き来し、結婚を意識する発言もあったため、当然ゴールインを視野に入れていたという。
投稿主は心から愛していたと語るが、彼氏は飲み会や趣味に費やす時間が多く、彼女の思いを抱えきれなくなったそう。また、将来を意識する発言があった割に、結婚願望がないと明言したことも、破局の大きな要素だったそうだ。
これに対し、ネットユーザーからは同情や激励など、さまざまな言葉が寄せられている。中でも目を引くのは、《男性は30歳になってからようやく、結婚について考え始めて40歳までにはしようかな?と思う人も少なくありません》《男の30歳と女の30歳は考え方にかなりの違いがあると思います。女は出産に年齢制限みたいなのがあったりしてどうしても焦ってしまいがち》《男の30歳は、まだ子どもです。とくに、そういう交際の多い人ならなおさらだと思います》など、男性の認識は幼稚で軽いものだという見解だ。
“男性が幼稚になりがち”なのは客観的なデータから明らか
確かに、結婚・出産を視野に入れた女性は、肉体的・医学的な理由を中心に、30歳をひとつの目安に考えると言われてきた。一方、男性にはこうした年齢による区切りが心理的プレッシャーとして働きにくいとされている。それは男性の平均初婚年齢が、戦後一貫して女性より高いことからも読み取ることができるだろう。
いわゆる「年の差婚」に関しても、女性が年上の「姉さん女房」夫婦は、男性が年上のパターンよりはるかに少ないという事実がデータとして存在している。客観的・合理的に考えても、男性が結婚というイベントに鈍感であることは論を俟たない事実と言っていい。
こうした男性の振る舞いについて、動物的な本能や社会の仕組みという観点から、より掘り下げて考えてみよう。オスは本能的に種を残すことをプログラムされているため、1人の女性ではなく多くの女性と交わることは、自然界では悪とはされない。それが禁忌となるのは、あくまで近代国家的な社会性を前提とした場合だろう。つまり平たく言えば、男は〝多くの女性と遊びたい〟と考える生物であり、枷でしかない一夫一妻制というシステムに組み込まれる結婚というイベントには、特段焦る必要がないのだ。
結局のところ、結婚願望がない=精神的に幼稚な男との付き合いは、将来設計まで見据えている場合、時間の無駄にしかならない。今回の投稿主の女性は、大変に気の毒だったと言わざるを得ないだろう。
フランス現代思想を専門とする思想家・内田樹は、かつて自身のブログで《日本の男性は急速に幼児化している。これは動かしがたい事実である。男子を成熟に導く「通過儀礼」的な人類学的装置が根こそぎ失われたためである》など、現代男性を痛烈に批判していた。しかし驚くべきことに、このエントリーが執筆されたのは2010年のことである。
10年一昔。あれから日本男性は幼児性を脱却できたのか、はたまた悪化したのか…。答えは内田に求めずとも、日本お得意の〝空気〟が雄弁に語ってくれているだろう。
文=大上賢一
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