ジブリの黒歴史じゃない!?『となりの山田くん』がディズニーに与えた影響

(C)Denis Makarenko / Shutterstock 

『ゴールデンウィーク』とは、もともと映画業界が宣伝のために作った造語。そんな映画界で日本を代表するスタジオといえば、なんと言ってもスタジオジブリだろう。

ジブリ作品は「公開作が必ずヒットする」と言ってもいい一大ブランドだが、空振りに終わる失敗作品も稀に出てしまう。中でも〝最大の失敗作〟と名高いのは、1999年公開の『ホーホケキョ となりの山田くん』だ。

「2年前の1997年に公開された『もののけ姫』が当時の日本の歴代興行収入記録を塗り替えたこともあって、次に発表された『となりの山田くん』には期待が集まっていました。しかし、蓋を開ければ配給収入は、目標の60億円を大きく下回る7.9億円、制作費20億円に対して興行収入15.6億円の大赤字と、平成ジブリ作品で最も悪い成績に終わりました。また、2年後に公開された『千と千尋の神隠し』が再び興行収入記録を塗り替えたことで、間に挟まれた〝失敗作〟の印象はより強いものとなります」(週刊誌記者)

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さらに、同作は『金曜ロードショー』(日本テレビ系)で繰り返し放送されるジブリ作品において、TV放送が2000年の1回のみ。現在まで四半世紀近く〝2度目〟がない上、その1回もテレビ黄金期において視聴率ヒトケタと散々な結果に終わっている。

あの世界的名作と『山田くん』の関係

検索すれば分かるが、スタジオジブリ公式ツイッターも、アカウント開設以来「山田くん」の文字列は一度もつぶやいていない。これらのことから、「となりの山田くん」は〝ジブリの黒歴史〟との評価が一般的だ。

だが、裏話に目を通すと〝黒歴史〟とも言えないようで…。

「『ジブリの森』で2013年に連載された『かぐや制作日誌』には、アメリカの脚本家、マイケル・アーントと『となりの山田くん』のエピソードがつづられています。マイケルが駆け出しの頃、どこに持ち込んでも脚本を採用してもらえず、夢を諦めて違う仕事を探そうと思っていたそう。

そんな中、ニューヨークの近代美術館で開催されていたジブリ回顧展を覗いたところ、当時最新作とあって『となりの山田くん』が最後に展示されていたというのです。

これを見た衝撃について、マイケルは《愕然としました。そして、感銘を受けました。こんな映画があったのか。こんな監督がいたのか。この世の中に、何ら特別でない家族のささいな日常を切り抜いて、このような傑作を作り上げてしまう映画監督がまだ残っていたのか、と》などと回顧。

さらに、《そして、思ったんです。この人がいるのなら、こういう映画があるのなら、ぼくもまだ脚本を続けられるのじゃないか、と》など、『となりの山田くん』との出会いで再び脚本家を続ける決意をしたことを振り返っています。

その後、マイケルは『リトル・ミス・サンシャイン』でヒットを飛ばし、これを見た『トイ・ストーリー3』監督から脚本家に抜擢。『トイ・ストーリー3』といえばアニメ史に残る名作であり、世界一のアニメ映画との呼び声も高いですが、あの作品は『となりの山田くん』ナシでは生まれなかったのです」(週刊誌記者)

傍から見れば失敗作でも、誰かに影響を与えることがあるようだ。

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