『どうする家康』がダメなのはジャニオタのせい? 禁じ手で史実を避ける理由

松本潤 

松本潤 画/彩賀ゆう  (C)まいじつ 

数多くのアンチに粘着され、毎回のように粗探しで難癖をつけられている大河ドラマ『どうする家康』(NHK)。今回もまた、言いがかりのような批判を浴びている。

「今回の大河ドラマといえば、脚本担当・K氏によるトンデモ脚本でおなじみ。ミスマッチな大河に抜擢され、分不相応な役割を担っています。その能力を最も如実に示したのが、第15話の〝なんやかんや〟事件でしょう」(メディアコンサルター)

【写真】『どうする家康』放送休止日に『#松本潤Instagram』がトレンド入り! お茶目ショット… ほか
【関連】古沢良太のドラマは主演頼り?『どうする家康』が大コケしてしまった理由

15話では浅井・朝倉討伐の先陣が描かれたのだが、戦シーンはナレーションベースで、「浅井長政の裏切りに遭い、絶体絶命の危機に」と語られた後、「数日後」というテロップが出て「その後、なんやかんやありましたが、無事、金ヶ崎の戦いを乗り切ったのでした」と締め括られたのだ。

戦を〝なんやかんや〟で終わらせるとは、あまりに雑なうえ、禁じ手に近いスキップ手法だ。

ジャニオタ視聴者にはちょうどいい?

「歴史的事実や戦にまつわるシーンを飛ばし、人物描写や家族愛といった個人の描写を矮小化しているのは、脚本制作スタッフの実力不足と言わざるを得ない。しかしこれは、主演目当てに見ている『嵐』ファンのレベルに合わせていると見ることができるのだ」(前出・コンサルター)

とんでもない仮説をとなえているものがここにいる。

「ジャニヲタは史実なんてお勉強チックな部分に興味がないので、家康にまつわるエピソードを描いても刺さらない。制作陣はここに漬け込み、キャラクターのエピソードを描くことで、女性の直感に語りかける脚本を作っているのです。しかし、それは裏を返せば科学や歴史を軽視することであり、大衆迎合に他ならない」(メディアコンサルター)

当サイトも、『どうする家康』については、かねがね〝歴史を知らない〟、〝人物描写が下手〟と指摘してきた。しかし、脚本家が人物を描くのが下手クソというのは間違っていたのかもしれない。

なぜなら、こうして見ると、家族愛や主従愛をメインにしている事実が分かってきたからだ。

【あわせて読みたい】